字を見て思うこと

  
 この週末に向かって、着々と桜も開花の準備を始めている。これからしばらくは、沢山の人の心を和ませてくれる季節となる。とても楽しみな時期になった。

 そんな夕方、会社に戻ったら机の上に、何やら鉛筆で書かれた一枚の社用紙が置いてあった。見てみると、どうやら新入社員のS君の名前だ。タイトルを見ると「ビジネスマナー集合研修」、大手生保主催の研修セミナーへ参加した報告書だった。社会に始めて出て、職場のマナー、敬語の話し方、電話の対応のマナー、来客対応のマナーなど、初歩的なことを学んでくれたようだ。






 それはそれで嬉しかった。がっ・・・書かれている字があまりにも上手の反対。僕はちょっと驚いた。
 彼の履歴書を見たときは、上手とはいかなくても確か・・・もっと丁寧に書いてあった記憶がある。

 それでも、最後まで読み終えたら、彼の初々しい、一生懸命さが理解できた。そういう僕も、もともと字が下手で、学生の頃は、度々オヤジに注意されたものだ。注意されてもこの字は直らないとも思っていた。揚句の果てには、オヤジの特徴のあるクセ字の部分だけを真似て書くようになった。


 そんなオヤジが言いたかったのは、字の上手下手では無かったようだ。いかに丁寧に書くかであったようだ。「字を丁寧に書ける人は、仕事に於いても丁寧な仕事が出来る」と、「字で、その人の印象が決まる」。とでも思っていたのかもしれない。僕は、こんな仕事に就いて初めてそれが理解できたし、自分も字が下手なくせに字に興味が出てきた。

 今では殆どの会社で、パソコンのフォント文字の伝票や書類で埋め尽くされている。確かに日常的に、その人の自筆の文字を見る機会は伝言メモくらいだろうか。一方、わが社では帳簿類や日計表、営業からの出張、交際費の申請、その日の業務日報、配送員は運転日報など等、手書きの書面が多く残されている。
 
 僕は常日頃、それを見ながらハンコを押す時に、何ともいえない気持ちの変化が起こる。優しそうな字で心地よくなったり、なんだこりゃ・・・と思うことや、几帳面な人や神経質な人、自分を大きく見せようとする人、刺々しくいい加減な字を見て何となく気分が悪くなる時もある。字と人の心の関係を考えてはいけないかもしれないが、この仕事をしていると何故か判るような気がしてならない。



やはり、
 誰が見ても優しそうで、上手な字が良いに越したことはない。しかし、一生懸命に丁寧に書いたんだろうなと思える文字を見たとき、その人が見えてきて心に響くものがある。





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