声フェチ

 

 ことある毎に、「これも何かのご縁」などと、自分に言い聞かせたり、何かと言葉にするぼくも

 稀に、その人とはご縁がないなあ、なりたくないなと思うことがある。その方とは以前、一度お会いしたことがある。そのときは、特別そうは思わなかったが、その後しばらくして電話があった。このとき、受話器の向こうから聞こえた声で違和感を覚えた。それは、ぼくの嫌いな声だったから。

 何も、綺麗な声、澄んだ声、汚い声、だみ声ではなく普通の声かもしれない。それでも馴染まなかった。ぼくは相当な声フェチだと思われる。それは、まったく心がこもっていない代表選手の声だったから。

 その方から、今日、アポの電話があった。声はそのときと一緒だった。これも何かのご縁と思い、時間を約束した。その時間になったらまた電話、「約束の時間に間に合わなくなりました。次の機会にアポを取らせていただきます」。この方とはご縁に気づくことは無かった。


このことで、昔のとある言葉を思い出した。

徳川幕府の指南役。柳生家の家訓に、
小才は縁に出会って、縁に気づかず
中才は縁に出会って、縁を生かさず
大才は縁に出会って、縁を生かす」 とある。

人はそれぞれの縁をもって生きている。
そこにあるチャンスに気づいて、生かせるか、生かせないかの差が、人生の差になっている。

僕自身「小才」、この方とのご縁に気づいていないようだ。その前にぼくは「声」が先決、男優だったら、税務調査官「窓際(まどべ)」さん、女優だったら、液晶アクオスの「小百合」さんといったところかもしれない。ぼくも、声には気をつけたいと思う出来事だった。











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