いつ聴いても同じように

  6時現在の気温が15.4℃と、暖かい朝を迎えた今日は止みそうにもない春の雨だった。一日中降りそうな予感がした。今日は、配達するみんなは大変だなあ・・・と思うと同時に、満開になった桜は大丈夫だろうかと、二つの心配が頭に浮かんできた。

 週末までは何とか持ちこたえてくれたら撮影に出かけられるのだが、これも自然相手、身勝手な願望だ。そんな中、早朝から出張に向かった営業マンから携帯に電話が入った。お得意先のご不幸の知らせで、今日執り行われる葬儀への参列の依頼だった。




 訃報の知らせは当然、誰もが突然やってくる。だから、僕もいつでも心の準備はしているが、出社してまもなく聞く午前中の葬儀はあわてることもある。いくら暇な僕でも一応その日の予定もある。幸いにも今日は午後からの葬儀、昼飯を早めに取り、担当者に代わって参列した。

 しかし、代役は代役、終盤までがんばっていたが一瞬眠ってしまい、持っていた数珠を落としそうになったことを覚えている。起こしてくれたのはお坊さん、最後の「渇っ」の大きな声だった。マイクを通してそんなに大きな声を出さなくても・・・と思ったが目が覚めた。僕一人ではないことを願った。


 そもそも、この最後に「渇っ」と唱える宗派は、たしか「臨済宗」。いままでの経験上、無宗派の僕にでも分かるようになった。そんな僕でも一日1回、「摩詞般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみたしんぎょう)(般若心経)」を唱えている。言わずと知れた宗派を問わず広く読まれるお経である。「心経」は文字通り、心のお経で、唱えると心が不思議に落ち着くものだ。言葉の意味が分からないまま唱えているのが現実だ。


 そんな中、この臨済宗の葬儀のお経で、以前から不思議なフレーズがあった。今まで何回聴いても不思議なフレーズ。そのお経の一節に「おめでとう、おめでとう」の繰り返ししか聴こえない言葉があった。僕だけだろうか、正式ではないと思うが聴こえてくる言葉を文字にする、「ウォメェデェトゥー」の繰り返しだろうか。葬送のお経にしては、僕にはちょっと不謹慎に思えた。今度、この宗派の和尚さんに会う機会があったら聞いてみたい。

 そういう僕は、ウトウトしてしまい、故人にとても失礼な葬送をしてしまった。       合掌、
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