いつしかマガン達に占拠されたぼくのフィールドでは、今年も乱舞が見られる頃になった。
夕焼けに照らされた空に、ねぐらに帰る無数のマガンの乱舞はいつ見ても圧巻です。
そして、賑やかな彼らが去ったあとは、
ほんのひと時、これまた綺麗な雲の乱舞が始まります。何時しかもやもやとした心も晴れ、いろいろな雲の形で発想豊かになる瞬間です。
この日のぼくのイメージは、「天馬往空(てんばくうをいく)」でした。
”困った。どうしよう、 そう考え出せば心が次第に萎縮して、ものの見方が狭くなり、出るべき知恵も出なくなってしまいます。
どんな困難に出会っても、みずから自由な発想を妨げてはいけません。天馬が空を縦横に駆け巡るように、とらわれない大らかな心で、自由自在に、伸び伸びと考えてこそ、新たな道がひらけてくるのです。(松下幸之助)
昨晩は、配送部の「池ちゃん」にどうしても!って頼まれていた勉強会に参加しました。
勉強会の名前は「出雲神話・斐川塾」。主催は「出雲・宍道湖ツーリズムの会」でした。
どうやら、池ちゃんはこの会の有力メンバーのようです。いろんなところに顔を出しているようです。
それにしても、強引、執拗な参加要請でした。
今夜は、第六回講座「古代・出雲大社本殿の復元〜高層神殿は実在した〜」です。
講師の先生は、勝山里美(大林組CSR室 副本部長)さんでした。一目見て、ぼくはドキッとしました。
それは、ぼくの姉と瓜二つ、都合により比較影像は掲載できませんがソックリさんでした。
それはさておいて、
スクリーンに映し出されている古代出雲大社の高層神殿のCG影像は、日本を代表するゼネコンの大林組と、歴史の専門家の先生が協力して出来た仮想神殿です。もちろんその当時、技術的に何とか出来たであろう完成予想です。それを、大林組が実際の縮小サイズで建て方の実証実験した話しに興味がありました。
しかし、この高層神殿を支えた柱の建て方は、ぼくにとっても実証検分でもありました。
二年前、ぼくは文献を元に 1/150スケールで模型を作っていたからです。大林の施工想定と、ぼくの予想はドンピシャッと合致していました。それもそのはず、ぼくが研究した文献は大林と専門の先生とが監修した本でした。
興味があったのは「工程と予算」。
まず工程では、木材の調達で二年、木材加工、建て方、屋根葺き、足場解体までで6年の工程表でした。
また、のべ所要人員は大工32,300人、とび職11,000人、土木作業員67,000人、屋根葺き職人3,800人、現場管理12,800人、何と総数126,700人工の見積です。
もっとも気になる工事費の見積書は、仮設費、建築工事、屋根工事、金輪(金属)工事、諸経費も計上して、なんと12,166,000,000円(税別)。ということは、121億6千6百万円プラス消費税608,300,000円、ハンパではないですね。
とても具体的な話でした。
そして、講演も終わりに近づくと、古代の話しから一変、「宇宙エレベーター構想」の話しでした。これも、設計構想はもちろん、施工方法ともイメージが出来ていて、実際やる気になれば2050年に完成するそうです。
一回に乗れる定員500人、工事費は10兆数千億円(税別)。ぼくの孫の代には、金さえあれば何でも出来る時代になるようです。
今夜は、古代の話と未来の話。どちらもスケールが大きい話しで勉強になりました。
「池ちゃん!」今宵は強引に誘ってくれてありがとう。
毎月、二十日が過ぎたこの頃は、請求書の作成に追われどの会社でも担当者は大変だと思う。
ここのところぼくの会社でも、事務員のTさんが夜遅くまでパソコンとにらめっこする姿、プリンターが慌しく打ち出す音がぼくの部屋まで聞こえてくる。この作業がないと何処の会社も成り立っていかない。
この姿や音は、今も昔もずっと繰り返されている。ほんとうに担当者は大変だ。伝票も手書きの時代には、ぼくにでも枚数を確認したり、電卓で合計を集計することくらいは手伝うことができた。しかし、今は電算化。何をどうやっているのかまったく分からない。そして、何ら手伝うすべはない。ましてや、本人は集中しているので声を掛けるのはご法度、退社する時に「ご苦労様!」が関の山だ。
しかし、今日は特別な日、ぼくは恐る恐る声を掛けた。「Tさん!一周年パーティーしてあげないといけないね」って声を掛けてしまった。ニコッと彼女は微笑んでくれた。去年の今日が彼女の入社日だった。
ここまでなるまでに、先輩からの指導は当然あったと思うが、一人もくもくとパソコンに向かう姿は、もう立派な一人前に見えた。
一人一人の成長が見れるのは経営者冥利につきる。彼女に限らず、みんな遅くまで良くやってくれる。嬉しいものだ。
そしてついつい、月刊PHP誌「12月号」の記事に重ね合わせてしまった。一周年パーティーなんて出来っこないので、この記事をプレゼントしたい。
積み重ね
今年一年もまた、振り返ってみると、あっという間だった。その日その日をそれなりに忙しく懸命に過ごしてはきたけれど、結局、何をしていたのか。特にこれといったことも成しえず、目の前の雑事に取り紛(まぎ)れて過ぎてしまった。そんな思いがつのる。
しかしそれでも、よきにつけ悪(あ)しきにつけ、さまざまな出来事に出逢い、経験、体験を重ねてきた。それらはみな、自身のものの見方・考え方、あるいは無意識の振る舞いや言動といったものにも、どこかで影響を与え、心に豊かさや広がりをもたらしているはずである。
今はあまり成長したように思われないかもしれないが、こうして一年、一年をくり返しつつ、十年、二十年、三十年と経(た)てば、いつの間にか自らが大きく変化していることに気がつくであろう。
日々の小さな出来事や経験の積み重ねが、今の自分をつくっている。自信をもっていい。一年前の自分とは決して同じではないのだから。
ぼくも入社して35年、それにしてもこの間、劇的に変化してしまった。ぼくのようにならないで程ほどでいいと思う。
いつも前を向いて 上を向いてと意識しているが、この日だけは特別だった。
雨に濡れた足元には、もみじや銀杏の落葉、それに名前は分からないがピンクの花びらが色を添えていた。
この光景を見たとき、「たまには足元を見つめて・・・」と命を終えた落葉たちがそう言わんばかりに思えた。
何から手をつけてよいのか分からないまま過ぎていく日々、そしてこの頃、ぼくは宙に浮いた毎日を生きていたのかも知れない。
ぼくには、ちょっとだけ寂しそうに思えるこの自然の芸術が「足元が大事だよ」と言うことを教えてくれた。