2013.09.30 Monday
曖昧な記憶
9月最後の日曜日は、家内から誘われるまま、義母の実家の墓参りをした。
実家は、紅葉の名所で知られる鰐淵寺にほど近い出雲市唐川町。
ここは、島根を代表するお茶の産地、お茶の里。とくに「唐川番茶」は別格のようだ。
急な坂道に車を止めふと見上げると、実を付けた柿の木と茶畑。
妙に昔の記憶を掻き立てる光景だった。
この里山に最後に来たのは何年前だっただろうか。
十年、いや十五年前、思い出してもまったく記憶が曖昧。
秋も深まるこの頃、近くの神社では「夜神楽」が夜通し舞われる。
これを見たのは、新婚時代だっただろうか、子供が小さいころだっただろうか。これも記憶が曖昧。
結局、次々に記憶が曖昧になっていくので、ここまで生きて来られたのだと自分で自分を諭す。
もしかすると、数年後にはこの墓参も記憶が曖昧になってしまうのだろうか。
明日から10月、衣替えの季節に入る。
月刊PHP誌「10月」に気になる記事があった。それもタイミング良くお題は「記憶」。
記憶
遠い日のさまざまな出来事。「あのときは楽しかったなあ」と懐かしく思いだすこともあれば、
「あの人には申し訳ないことをしてしまった」と、思い出すたびに後悔の念にさいなまれる出来事もある。
だが、誰でも昔の友達と話をしていて、自分ではすっかり忘れてしまっていることや、
自分の記憶と違うことを言われて驚くといった経験をしたことがあるだろう。
それは人間の記憶がいかに曖昧なものかを物語っている。
だから、自分がずっと気に病んでいることを、他人はもう覚えていないということも、
実際、よくあるのである。
自分の行いや言葉が周囲に迷惑をかけたり、相手を傷つけたりしたと思うのなら、
心から詫び、二度と同じ過ちをしないよう肝に銘じる。
そうすれば、あとはいたずらに過去を引きずり、悔やむ必要はない。
もちろん忘れてはいけないこともあるけれど、そう考えることで気持ちが軽くなる。
そしてそれが、今を大切に生きることにもつながっていくといえよう。
思い出すたびに後悔の念にさいなまれることがある自分にとって、
読み終えると、すこし気持ちが軽くなった記事たっだ。