東北応援視察旅行【7】

 女川を出発して、再び石巻市内を通り抜けおよそ一時間くらい走ったのでしょうか。
国道45号線、東浜街道にバスは入りました。山を幾たび越えて見えてきた光景は、

住宅の基礎部分だけが残った、閑散とした光景が続きました。山の木が、海水の塩分で立ち枯れを起こしているようです。





中腹には、線路が途中で遮断されています。気仙沼線の小さな駅舎があったと想像されます。しかし、海は見えません。こんな奥のほうまで津波が押し寄せたのでしょうか。信じられませんでした。






しばらく走ると、

平坦な場所に出ました。ここが、南三陸町志津川でした。







まもなく、道路わきにバスは停まり、降り立った光景は、

言葉にならない光景でした。ぼくは一礼し、写真に収めさせていただきました。


























鉄骨むき出しの建物は、今も震災の悲惨さを象徴する「防災対策庁舎」。役場の職員の方々が必死で住民の方々を最後まで守ろうとした場所です。




中でも、当時の報道で日本中の国民が泣いた、

当時、防災放送担当だった職員の「遠藤未希」さんが最後の最後まで、3階から避難を呼びかけた防災放送。
そのほかにも、屋上には住民を交え残された職員の方々30名ほど避難されたようですが、屋上も2メートルを越す津波が飲み込み、津波が引いたあとは10名ほどだったそうです。胸が締め付けられそうです。





この日も、多くの方が献花に訪れ、黙祷を捧げる姿がありました。
心が折れそうです。
ぼくのような、初めてこの地を踏むものにとって語る資格はありませんので、
遠藤さんの記事は、コチラ
でご確認ください





川の対岸の様子です。






高台は被害を免れたようです。






河口の方向です。






ガソリンスタンドも小さなプレハブで、頑張って営業されていました。頭が下がります。






写真を撮り終えて、やってはいけない行為に気が付きました。ぼくが立ち入ったのは、他人様の敷地内です。ここには、住人の方々の幸せな営みがあった場所です。ぼくのような、よそ者がやってはいけない行為をしてしまいました。
ちなみにこの場所は、玄関付近の床にAUショップらしきシール跡がありました。 申し訳ありません





よみがえれ 故郷  ふんばれ 南三陸! 復興を祈るばかりです。





震災以前の光景のようです。

気仙沼線の列車が走る、とてもきれいな港町だったようです。そこには、17,000人以上の方が住まわれ、幸せな営みがあっと思います。



3.11 あの日、あのとき ここで何が起こったのか、

記憶に残さなければと思い、画像を掲載させていただきました。


南三陸町志津川、死者611名、行方不明者237名(8/31現在)


大地震で尊い命を失われた方々に、衷心よりご冥福をお祈りいたします

東北応援視察旅行【6】

 石巻での視察を終え、重たい心で山間を進むこと30分。次の視察先、女川町にバスは入りました。
停車したところは、道路から16〜7メートルほど上った近代的な建物の駐車場でした。

ここは、女川地域医療センター、町立女川病院です。こちらも、1階の天井付近まで津波が襲ったと知り、ぼくは唖然としました。





それもそのはず、

下から見上げると、こんなに高い所に立っているのにと驚きです。
この女川町は大津波により壊滅的な被害を受け、陸路が遮断されたようです。震災後、当分の間は「食料もない、水もない、トイレや赤ちゃんのオムツもない」、陸の孤島となったようです。






ここに立って見える光景は、

生死を分けた山沿いの家々は残っていますが、賑やかであっただろうと思われる下の町並みは痕跡だけ、何もない光景でした。
ここに至るまでの瓦礫の撤去や、行方不明者の捜索では、自衛隊の皆様はもとより、関係者のみなさまのご苦労は大変なものであっただろうと思います。



そこで、この場所からは、ぼくが今写した光景と、被災前の光景と、被災直後の画像を失礼ながら使わせていただき、お伝えできればと思います。


震災前の町並みを写した写真のようです。ぼくが立っている場所は中央の大きな建物の下です。このカットは、山の上から撮影されたようです。




町並みは。

人口1万人ほどの町で、海と山に囲まれ海の幸が豊富な活気のある町だったようですが、




その町が、あの3.11の大地震の発生による大津波が押し寄せ、

町は壊滅的な被害を受けました。







震災から二ヵ月後に写された光景は、


とても悲惨な光景に変わっています。中央の茶色のビルはマリンピア女川、商業施設や観光施設の建物で、すごく賑わっていた建物のようです。この建物の屋上に逃げた人はぎりぎりで助かったようです。しかもこの建物が踏ん張ったお陰で、後方の建物はかろうじて残ってはいましたが、



今、僕が見る光景は、


津波による横倒しになった建物だけで、全ての建物は取り壊されたようです。緑の部分は、屋上の防水シートです。





この右方面も、

この光景から、建物全てが取り壊され、





今は、何もない光景になっています。寂しい限りです。ダンプだけが忙しく走り回っていました。




ぼくが立っている場所を見上げた写真では、

この状態から、




膨大な瓦礫の撤去で、大変なご苦労があったものと推察できます。




このまま、海岸沿いに歩いていくと、

横倒しになった3隗建ての建物が、無言のうちに語りかけてきます。





1階はガレージだったようで、当時の車が入ったままの状態でした。言葉になりません。





唯一、新しく建てられた建物も見られました。

漁業の再会にはいち早く必要な、自動製氷の施設がある市場も出来たようです。





だけど、

町の復興には、まだまだ時間が必要のようです。






ぼくには何も出来ませんが、住民の皆様が震災前の暮らしに戻られるようお祈りするだけです。





あの日、あの時、ここで何が起こったか、


記憶に少しでも残さなければと思い、画像を掲載させていただきました。

この後、無常の思いでバスに乗り、最後の視察先、南三陸志津川に向かいました。



津波による浸水が、海抜20数メートルに及ぶ被害で、死者595名、行方不明者286名(8/31現在)。

大地震で尊い命を失われた方々に、衷心よりご冥福をお祈りいたします

東北応援視察旅行【5】

 バスの心地よい揺れに睡魔が襲い、所々景色の記憶がないまま、バスは国道45号線を走っていたようです。
つかの間の休憩後、再開されたバスガイドさんのマイクから流れる優しい声で、ぼくは目が覚めました。石巻市内に入ったようです。

バスが停車し、ぼくの座席の窓の外を見ると、

石巻市立 門脇(かどのわき)小学校の校舎。ぼくは唖然とし、同時に心がずしりと重たくなっていくのが分かりました。一礼し、写真に収めさせていただきました。






ぼくの記憶にあるこの学校は、

昨年の紅白歌合戦でいちばん印象に残った、長淵剛が歌う「ひとつ」の場面。被災地に立ち熱唱する長淵。ライトで浮かび上がった校舎。今ここで呆然と見ている自分。心が痛いです。






震災当時は、

工場から漏れた油で学校は焼けてしまい、瓦礫で覆いつくされていたようです。子供達は無事だったのしょうか。







震災から一年半経過した、この海岸沿いの門脇(かどのわき)・南浜地区は、津波の被害の大きかった場所のひとつです。
そして、この石巻市は、地震に伴う大津波で壊滅的な被害を受け、死者3,471名、行方不明数は476名(8/31現在)と、宮城県でいちばん犠牲者が出たところです。




賑やかだったろう街並みは、

点々と、当時のまま残された建物はありますが、瓦礫は片付けられている状況です。地盤沈下したところでは水溜りが出来ています。言葉になりません。






中央よりの大きな建物は、石巻市立病院のはずです。当時、屋上からヘリコプターで患者さんが搬送される影像が頭に焼き付いています。








だれも住んでいない当時のままの家。(個人のお宅のため画像を加工しました)







当時はスーパーだったのでしょうか。








津波が押し寄せた時刻で、止まったままの時計。(石巻市立女子商業高校)






同乗した人たちは、一様に無言で見つめるだけでした。だれもが言葉になりません。

山と積まれた瓦礫、これが今の被災地の現状です。




信号待ちで停車の合間、唯一、ぼくが車窓から見つけた希望の色は、

真新しい「ブイ」が積まれた光景でした。三陸の海で活躍するのでしょうね。

そして重い心のまま、次の視察場所、女川(おながわ)に向かいました。

大地震で尊い命を失われた方々に 衷心よりご冥福をお祈りいたします

東北応援視察旅行【4】

 カモメとたわむれ、あっという間に下船となった松島遊覧芭蕉コース。

船着場では、これから乗船の方々で賑わっていました。外人さんも多く見かけ国際的な感じでした。
夏は「花火遊覧」、冬は「かき鍋クルーズ」と、松島湾の味覚を食べながらの遊覧コースもあるようです。




上陸して、みなさんが真っ先に向かうところは、

船から見えた「五大堂」です。慶長9年(1604年)、伊達政宗の造営にかかるものといわれ、五大明王の像が安置してある松島海岸の代表的な建物です。まさに「国宝」。木造の高度な建築力と、素晴らしい彫刻を見ることが出来ました。



ここのお参りが終わると、

商店街を通り、名実ともに奥州を代表する大禅寺「瑞巌寺」にお参りとなります。
このお店では津波の被害に遭われたのか、真新しいお店でした。仕事柄、「木」が
使ってあると興味津々、立ち止まって見てしまいます。とても良い感じのお店でした。




参道を進んでいると、

本堂を正面方向に半分くらい進んだこの撮影地点、「ここまで津波が到達しました」と書かれた看板が見られました。松島湾の点在する島々が津波を和らげ、結果的にご本尊を守ったのでしょうか。残念ながら、参道両脇の杉の木が海水を被り枯れてしまい、多くが伐採されていました。



参道をさらに進むと、

臨済宗妙心寺派、青龍山「瑞巌寺」。国宝のご本殿に拝観。と思いきや、残念ながら平成の大修理期間。平成28年3月までは、本堂・中門・御成門などは拝観できません。



仕方なく、ゼネコンさんが用意した工事用防護シートにプリントされた、

本堂の拝観となりました。機会があれば是非見ておきたかった建物だったので、とても残念でした。




その代わり、

残念賞として、特別公開されている場所がありました。





順路に従って進んでいくと、







立派な庫裏(くり)でした。ここは、禅宗寺院の台所。パンフによると、正面13.78メートル、奥行き23.64メートル。大屋根の上にさらに煙出しが載っている変わった設計ですが、大屋根のラインや各所に見られる彫刻など、正宗公の美意識が伺える国宝にふさわしい建物でした。

中は、撮影禁止のため画像はありませんが、ご本尊、伊達家代々のご位牌、この寺を開山した禅師の貴重な木彫り像など、普段見られないようなお宝が特別に拝観できました。


その後、

宝物館(青龍殿)で国宝・重文の貴重なお宝を拝観してから、本日のご昼食会場に向かいました。




お腹も満たされたところで、

松島を後に、これから東松島を経由して石巻市内の被災地視察に向かいます。

東北応援視察旅行【3】

 牛タンの疑問を引きずりながら、塩釜水産物中卸市場を出発して向かった先は、

車で5分、マリンゲート塩釜でした。ここは、松島遊覧の遊覧船の出発地、お土産物店やレストランを併設した施設です。3.11ではご存知の通り、大津波の被害を受けたところです。




この夏にリニューアルされたばっかりで、1階部分しか見ていませんがとても綺麗な状態に復旧されたようです。震災当時の影像では、たいへん悲惨な状況が映し出されていた記憶があります。復旧に向けた関係者のみなさまのご努力が伺えました。



さて、

今日は、ここを起点に船で松島へ渡り、東松島を経由して石巻市内、そこから女川(おながわ)町、また石巻に引き返してから今夜の宿がある、南三陸町に入る道のりとなります。


ひとまず、

遊覧船に乗船となります。




この船のコースは、

芭蕉コース。あの松尾芭蕉が、小船で塩釜から松島に渡るとき通った島々を巡ります。まさに、芭蕉も感動した贅沢なコースです。



さっそく、窓際の座席に座ると見えるものと言えば、


カモメのお出迎えです。近くで見ると、ちょっと目がきつく怖そうです。それにしても人馴れしています。




芭蕉コースも楽しみですが、ぼくのお楽しみは、

松島遊覧のもうひとつの名物。カモメと触れ合う餌付け?餌やり?でしょうか。今日は何とか決定的な瞬間を撮影したくて、わくわくしてしまいました。




さあ、いよいよ出発です。


カモメの集団が船の後尾で、餌のおねだりが始まります。




餌やりがスタートします。

餌はカッパえびせん。塩味が好きなのでしょか、みんな注目して狙ってきます。






投げられたカッパえびせんが宙に舞うと、さすが野生です。







そして、決定的瞬間の撮影成功、

ナイスキャッチとなりました。誰もが童心に戻って楽しみました。


そういえば、ぼく達だけではありません。

修学旅行の学生さんや、





お嬢さんたちもみんな、手にはかっぱえびせんを持っていました。みんな笑顔がよかったですね。こころからリフレッシュできました。


しかし、こんなことばかりしている場合じゃありません。

なんといっても、ここは日本三景「松島」。芭蕉が感動した島々の風景がメインで、カモメは偶然の産物です。これじゃあ案内放送の方に申し訳ありません。




鐘島(かねじま)





自然が創りあげた奇岩もたくさん見られました。その形によって、仁王島、兜島、夫婦島、変わったところでは材木島が印象に残りました。いずれにしても、この二百数十の島々が、昨年の大津波を和らげたことは、当時の報道で知りました。




ここに大津波が襲ったとは思えないくらい、穏やかな水面と風光明媚な名勝でした。




いよいよ、

松島のシンボル、五大堂が見えて来ましたので、ここで下船となります。



東北応援視察旅行【2】

 アイリスオーヤマ角田工場の視察が終わり、一路、仙台市内の今夜の宿に向かいました。
杜の都仙台といえば、

東北屈指の繁華街がある「国分町」。大震災以降、他県からの復興の方々で、国内でも一番にぎやかな繁華街でしょうか。この夜も大変なにぎやかさでした。ぼく達も早速、飲食の方で応援しました。



ここでもう一泊でもしたいような気持ちを抑え、迎えた翌朝は、

塩釜水産物中卸市場へ直行しました。いきなりこんな画像ですみません。





世界4大漁場と名高い三陸沖の種類豊富な魚介類が367店の店舗に集まっているようです。
まさにここは、魚のワンダーランドですね。



午前8時を過ぎると、専門業者の仕入れが落ち着くので、業者に混じって一匹からでも買えるようです。




あちらこちらで、


さばいていたのは、メバチマグロでしょうか。サービスがいい店では試食が出来ました。どんぶりに炊き立てのご飯を入れて歩けば、海鮮どんぶりが味わえるでしょうがそんな図々しい人は見かけませんでした。




鯨の刺身をいただいたお店では、


とっくに捕鯨禁止になった、幻のシロナガスクジラのひげが飾って(置いて)ありました。
説明を見ると、人類が始まって以来、最大の大きな生き物がシロナガスクジラのようです。何があっても捕獲したらいけないそうです。



ほかにも珍しいものが、


こんなものも置いてありました。


ぼくが呼び止められたのは、

たこ専門店。威勢がよいおばちゃんの掛け声でした。




それにしても、

美味しそうですが、こんなの買って帰れません。クール便で送るほどの物でもないし・・・地元にもあるし・・・。



そんな独り言をいってたら、

お嬢さんたちも何かじっと見つめていました。


何か欲しそうに見えたのでしょうか、

店員のお兄ちゃんが、試食をみんなに差し出しました。





お嬢ちゃんも、とても嬉しそうに食べていました。その後、目出度く御買上げとなりました。しかし、ぼくは試食だけで、この場から逃げれませんでした。見かねたおばちゃんが冷蔵庫から出してきたのは、仙台名物「塩牛タン」。どうせお土産もいることだし、ぼくも目出度く、クール便での直送となりました。




外に出てからぼくが思ったことは、たこ専門店で「牛タン」?・・・水産物中卸市場で「肉」?・・・
このお買い物には、旅の間、ずーっと疑問が残りました。まあ、東北応援ツアーです。なんでもよいのかもしれません。この後は、近くの塩釜マリンゲートから遊覧船で日本三景「松島」へ向かいます。

東北応援視察旅行【1】

 
出張初日、乗換え時間の合間には、1914年創設時の姿に復元された東京駅丸の内駅舎を見学しました。
丸の内の近代的なビル群に囲まれて、赤レンガ造りのレトロな駅舎です。カメラに収める人も多く、オープニングセレモニーの会場準備も進められていました。

しばらく見学したあとは、やまびこ57号に乗り向かった先は、杜の都仙台へ。

仙台駅からバスに揺られ一時間半、到着したのはこの日メインの視察先「アイリスオーヤマ角田(かくだ)工場」でした。福島県の県境に程近く、周りは山々に囲まれた静かな場所にある大きな工場でした。





受付から案内され、

ひとまず、会議室で会社概要を影像でご紹介されました。設立は1971年、ということは41年前。ぼくが、この会社の名前を知ったのは何時頃からだっただろうか?なんて考えながらビデオを見ていました。
ここで分かったことは、アイリスオーヤマの強みは、【グローバル業態メーカーベンダーシステム】
早い話、アイリスオーヤマはメーカー機能と問屋機能を併せ持つ独自の「メーカーベンダー」という業態を作り上げたことのようです。説明によると、商品を小売店に届けるだけではなく、小売店の売り場をコンサルティングしながら魅力的な売り場作りや販売促進のサポートをするようです。


この意味は、次に案内されたショールームで分かりました。

ここに入った途端、ホームセンターの売り場そのものでした。





これも買ったことがあるような。




物凄い商品アイテムでした。ここでは収納用品、ペット用品、ガーデニング用品、生活用品の取扱全商品が見れるようになっていました。もちろん、東日本大震災後は生活者が賢く節電する「スマートライフ」という考え方を提案してLED照明事業を一躍、国内トップシェアに押し上げたLED照明のコーナーも目を引きました。


これ以外では家電事業、中でもヘルス事業で、

下段の「とうもろこしのひげ茶」、試飲させてもらいましたが香ばしく美味しかったです。こんど見つけたら買おうと思いました。



撮影許可もここまで、日曜日の朝のTV「がっちりマンデー!」で以前見たことがある、プラスチックの衣装ケースを全自動ロボットで組み立てる工場内、国内最大級の保管能力を誇る、全自動搬送ロボットなどの物流倉庫内は撮影禁止でした。

ここで感心したのは、働いている社員の方々のご挨拶。すれ違うたびに、「いらっしゃいませ!こんにちわ!」、繁盛している居酒屋並みの明るく元気な挨拶でした。わが社の工場とは〇とスッポンでした。反省です。



仙台発、世界企業に成長を為し遂げた「アイリスオーヤマ」。

ベガルタ仙台や東北楽天ゴールデンイーグルスのオフィシャルスポンサーとして、地元へのスポーツ振興にも貢献しています。




もちろん、

社員のスポーツも盛んなようで、有力なスポーツ社員さんもたくさんいらっしゃるようです。
「永遠に存続する企業、健全な成長を続けることにより社会貢献し、働く社員にとって良い会社を目指し、会社が良くなると社員が良くなり、社員が良くなると会社も良くなる、」この企業理念に感動した今日の視察でした。





一日遅れで

 みなさまおはようございます。

今朝の出雲地方は、8時現在の気温が16.5℃と少し肌寒く、長袖がちょうど良い気温です。いつもの北山も雲はありますが、これから天気が良くなりそうです。

 昨日は、台風17号の影響で、東北出張から一日遅れで帰ってきました。早朝の羽田空港は帰れなかった人、出発を待つ人で、大変な混雑でした。こんなのどかな風景を毎日見ているぼくは、どうも人ごみは苦手です。

そんな今朝も、いつもの光景を見ていたら目線の先に、



朝日にコスモスが輝いていました。まさに、十月の空とコスモス、とても綺麗でした。






お隣のマンションも順調に工事が進んでいるようです。これから少しずつ近隣の風景も変わりそうです。十月も、今朝の光景のように爽やかに行きたいものです。

今週のダイアリーは、東北出張の膨大な写真を整理して、少しずつご紹介したいと思います。



コスモスの咲く頃

 自宅近くの坂道に、今年もコスモスが咲いていました。廻りの山からは、夏の名残のセミの鳴く声、どこからか風に乗ってただよう金木犀のほのかな匂い。





今年もまた、ラジオのリクエストで、山口百恵の「秋桜(コスモス)」がよく流れる頃になりました。
ついつい、ぼくも高音がでないまま、無理をして一緒に口ずさんでしまいます。そして、せっかくの曲が台無しになります。

いつ聴いても何歳になっても、ぐぐっとくる名曲ですね。


この道を

 この時季ぴったりの、地元の昔の原風景を思わせる光景が、

ここ斐川町は「荒神谷史跡公園」で見られます。この「稲はで」も年々、見ることが少なくなってきました。
とてものどかな里山の光景です。




その傍らの、

小さな小道。こんな未踏の小道を見る度に、この先何があるのだろうかと誘われ、ぼくはてくてく歩きたくなります。

 そして、こんな魅惑的な小道を見ると、思い浮かべるのは亡き兄が好きだった「アントニオ猪木の座右の銘」。
 

 【 この道を行けばどうなるものか、危ぶむことなかれ、危ぶめば道はなし
     
             踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる
                                                                                             迷わず行けよ 行けば分かるさ 】

だれもが、自分の人生という「道」をいろいろな思いで歩んでいます。大事なことは、迷った時の一歩を踏み出す勇気なのかもしれません。

ちなみにこの時は、「マムシ注意・スズメバチ注意!」が目に入り、ぼくはその一歩が踏み出せませんでした。