奇岩のあとは出石皿そば

 城崎温泉を後にして、我々一行が向かった先は、天然記念物の「玄武洞」でした。

洞と名が付くので洞窟探検かと思えば、130万年前に起こった出来事で現れた珍しい光景でした。
玄武洞といえば、僕には小さい頃から「ロミーナ」のお菓子しか浮かんできません。






正面の穴は洞窟と思いきや、砕石場として人工的に作られた洞穴だそうです。今は落石のため近づくことはできません。






何が貴重かといえば、

160万年前に起こった火山活動で流れ出したマグマが、冷えて固まる際に規則正しい割れ目を作り出し、柱状に節理が形成され誕生したことのようです。観光協会のガイドさんがおっしゃっていました。これを、柱状節理(ちゅうじょうせつり)と専門用語では言うそうです。





詳しくは、頭に入りませんでしたので画像をご覧下さい。

先ほどは「玄武洞」と言う名前がついていましたが、こちらは「青龍洞」と呼ぶそうです。






こちらの特徴は、

柱状節理がカーブを描き、世界的にも大変珍しいようです。奇岩マニアにはたまらない形のようです。僕は木材マニアで岩石には興味はありません。














自然が作り上げたダイナミックなスケール感が目に飛び込んで、すごく圧倒される光景でした。その後、「白虎洞」、「南朱雀洞」、「北朱雀洞」をそれぞれ見学し、こちらを後にしました。





次に訪れたのは、

僕自身、楽しみにしていた但馬の小京都、「出石(いずし)」でした。もちろん出石といえば、「皿そば」です。楽しみにしていました。



その前に、出石でのもうひとつの楽しみは、

出石永楽館でした。明治創業34年に開館した歌舞伎や演劇を上演する近畿随一の娯楽の殿堂だったと聞きました。そののち、時代と共に映画上映が中心となって、昭和39年にテレビの普及の影響を受け、閉館したそうです。

そして、みんなの希望で44年の歳月を経て、平成20年にその姿を復元したそうです。それにしても、これが元々個人の持ち物だったとは驚きでした。


中に入れば、当時の木材を修復して見事に当時の姿を復元されていました。






二階席もあり、当時の栄華が偲ばれます。





天井付近には、当時の看板も設置されていました。





中でも、僕の目を引いたのは、

この看板でした。ムール美容室最新技術を誇る電髪コールドパーマ」、これって何なのでしょうか?。
80、90のおばあさんに聞けば分かるのでしょうか。
それにしても、印象に残るインパクトのある当時の看板でした。






花道や、スターが地下からせり上がるための装置、回転舞台、すべて地下に潜る裏方さんの人力の作業のようです。油圧装置や電動モーターなど考えられない時代ですね。





こちらでは、
この秋、片岡愛之助も歌舞伎公演するようです。他に、変わった使い方では同窓会や、結婚式も行われるようです。これはこれで勉強になりました。モダンなレトロ感たっぷりな施設でした。





その後、場所を変えて、

待ちに待った、お楽しみ「出石皿そば」をいただきました。そば好きの僕にとって一度は食べてみたかったそばでした。
食べ方はチョッと出雲と違い、つゆが入ったそば猪口に、とろろ、ねぎ、生卵丸ごと1個、好みでワサビを入れてかき混ぜ、その中にそばを入れていただくと言う物でした。

今回いただいたのはそば定食だったので、皿そば3枚が一人分でした。あっという間に平らげました。
そばを知り尽くした僕にとっては、格別な感動は残念ながらありませんでした。

それは、1皿が2〜3口で食べられるので、量的な不満からだったのかもしれません。盛岡のわんこそば1枚よりまだ量は多いですが、割り子そばに慣れ親しんだ僕にとっては、一枚の料が物足りませんでした。

そこで、追加すれば?・・・と、お思いの方もいらっしゃると思いますが値段を見てびっくり、ナント1皿追加料金は120円、ちょっと見合わせました。

そんなんで、お腹もまずまず、これで今回のツアーは終了となりました。

ドライバーに命を預け、ウトウト、グーグー、楽しい旅が終わりました。
お付き合いありがとうございました。

旅の宿 「相棒編」

 旅の宿、城崎温泉「古まん」での目覚まし時計は、相部屋(四人)の一人の相棒が、ごそごそ・ガサガサと音を立て、僕の目を覚ましてくれました。

どうやら、朝風呂に入る用意をしていたようです。夕べの宴会の後も、みんな遅くまでカラオケスナックで、昭和の歌をたくさん歌い、とてもはしゃいでいたのにお疲れもないようです。すでにお目覚めでした。
携帯の時間を見たら、まだ5時でした。


そこからは、もう眠れなくなってしまい、カメラ片手に散歩に出かけました。
今朝は、昨日と違い真面目な撮影が目的です。

寝起きのしわしわの浴衣で下駄を履き、暖簾をくぐると外はとても爽やかな空気でした。
爽やかでは無かったのは、僕の浴衣姿だったのかも知れません。他に寝ている若干二名の方を気遣い、顔も洗っていませんでした。






今朝は、昨日見てない裏通りをひとまず散策、

向こうから朝日が差し込んできました。






表通りでは見えない光景が裏通りでは見られ、人々の暮らしの営みを垣間見ることができます。







川沿いに歩いていると、

鯉のぼりが出迎えてくれました。








これはこれで面白い演出です。緑の中にあって、色的にはインパクトがありました。風がある日は水面の上を泳いでいることでしょうね。






しばらく進むと、

こんな方も出迎えてくれました。この近くには「コウノトリの郷」もありますので一瞬、コウノトリ?とも思いましたが、いつもの僕のフィールドでも見かける方でした。






いつもの癖で、

そーっと近づいてみたらポーズをとってくれました。どうやら温泉客に慣れているようです。






調子に乗って近寄ったら、

シカトされました。それでも逃げようとしません。





この方にも嫌われましたので、

木屋町通りに向かっていると、






奥の方に目をやると、

朝はめっぽう強そうな 、じいちゃんばあちゃんが 下駄を鳴らして歩いています。
朝の静寂の中、カラコロと下駄の音が響いていました。これも風情がありました。
外湯めぐりが始まるのは7時から、もうそろそろ玄関先で開くの待つのでしょうか。






本通りに進んでみると、

車も人影も無く、静かな温泉宿の街並みがありました。






昨日巡ろうとしていた、外湯の先には、

朝日を浴びる、古き良き温泉街の一日が始まる光景がありました。
この後、食事を済ませ、お世話になった宿を後にしました。僕たちを心を込めて見送る女将さんの姿や、夕べも、一所懸命に給仕してくれた中居さん達のおもてなしの心も学ぶことができました。

この日は、これから近くの観光名所「玄武洞」、但馬の小京都「出石(いずし)」に向かいます。







城崎にて

週末は、関係する会社の総会出席のため、兵庫県は但馬方面に向かいました。

女性二人を含め、総勢15名でのバスツアーとなりました。神経質な僕は、どうやら左席は関越道の事故が印象に残っていたのか、運転手席側に座りました。もし、ドライバーがウトウトするようなことがあればすぐに起こしてあげます。




そんなんで、お客の僕もウトウトできない中、休憩や昼食しながら山陰海岸をひたすら走ること5時間、

着いたところは、名湯「城崎温泉」でした。





今日のお宿は、

コチラのお宿でした。






千年の湯、「古まん」さんでした。外装タイル張りの外観からすると古さは感じませんでしたが、中に入って使われている木材を見たら、中々の歴史のある旅館のようです。それはそれ、木を見るプロのツアー集団、見るところが違います。
小休憩のあと、さっそく総会が開催され、ものの一時間ほどで会議は終わりました。こんなんだったら、松江しんじこ温泉か玉造温泉でも良かったのですが、みなさんのお楽しみは当然、温泉でした。


城崎温泉まち歩きと言えば、

みなさまご存知、「7つの外湯をめぐろう!」で有名です。僕たちもさっそく浴衣姿に着替え、下駄でカラコロ外湯めぐりをしました。時間も十分あったので「7湯すべて制覇!」の意気込みで、



最初に入ったのが、




「一の湯」さんでした。外人さんも外湯めぐりをしています。しかし、意気込みは良かったのですが、あまりにも気持ち良くて長湯、これが失敗の元でした。後で知ったのがっ、ここが一番の高温とのこと、あとの祭りでした。






上がった頃にはすっかりのぼせてしまい、汗が吹き出てトーンダウン。





あえなく、

柳の下で、ギブアップとなりました。





予定では最低でも、

「柳湯」さんと、







「御所の湯」さんを制覇するはずでした。




その後、少し落ち着きを取り戻したら作戦変更、スナップ撮影に切り替えました。

僕の目に止まった光景です。じいさんばあさんばっかりと思っていたら大違い、若者が多くびっくりしました。



それはそれ、僕のことですから目が行くのは、

やっぱり、浴衣姿のお嬢さんでした。このまちでは洋服を着て歩いていると不自然に見えます。






まだ陽が高いのにこんな光景、僕には不思議に思えました。とても風情のある街並みでした。





いいかげんに、女性の浴衣姿ばっかり写さないで、

文豪、志賀直哉のゆかりの宿「三木屋」さん、名作「城崎にて」が生まれた創業300年、江戸初期創業のお宿を写したり、




昭和のよき時代を思わせる、手打ちのパチンコ、スマートボールの店があったり、





これまた、本格的な射的が楽しめる店があったり、歴史のある温泉場の懐かしい光景が写せました。





今回の、自画自賛「大賞」は、

柳越しに見える、「柳湯夕景」




もうひとつ、

湯上り涼む、「浴衣の君」  明日はっ、もう少し真面目に撮影します。






巨大なバームクーヘン

 斐伊川河川敷のこの頃の風景です。

刈り取られた草が専用の機械で、ロール状に束ねられ点在するこの風景、僕の好きな光景です。







まさしく、スケールは違いますが、北海道の大地を思い浮かべるようで心が広くなります。







天気が良い日に土手に座ってぼんやりと眺めていると、ひばりの声が何処からか聞こえたりして、とても気持ちの良い時間を過ごすことが出来ます。






そして、

だんだん小腹が空いてくると、この形から想像する食べ物といえば決まってきますね。









巨大な「バームクーヘン」でしょうか。牛や馬が食べると思うととても食欲は沸きませんが、みなさんは何に見えるのでしょうか。それにしても上手に巻き上がっていますね。


食欲はさておいて、とてものんびり出来るおすすめのスポットですよ。

麦の穂が黄金色に染まった斐川町

 この頃、車を走らせると黄金色に染まった光景が、あちらこちらで見られる斐川町です。

斐川平野の風物詩でもある「築地松(ついじまつ)」の撮影ポイントでも、黄金色に松の緑が美しい頃になりました。





南の山々の新緑が黄金色のベースに浮かび上がります。そして、とても目に優しい光景の中を、そよ風が心地よく吹いています。








青空をバックに麦の穂が黄金色に染まり、そろそろ刈り取りされることでしょう。
まさに、「麦秋」といったところです。
そして、刈り取られたこの二条麦は、ビール用に出荷されると聞きました。








週末も、ビールが恋しくなるような好天になるようですね。みなさま良い週末をお過ごし下さい。
そんな僕の週末は、所属する会社の会合のため、これから兵庫県豊岡市に行って参ります。

写真展に行きました

 今日は、午後から木材業界の会合が松江であり、その帰り道、写真展を見に行きました。


随分前から案内をいただいていた、写真家「多久田 均」氏の「大山賛歌供廚世辰拭8津犬魍催する時は、
毎回見させてもらっている。今回も氏の渾身の最新作が多数あり、いいなあと思う写真が目を引いた。






氏は、写真は趣味でプロ写真家では無いと他の来場者に説明していたが、僕から見たら技術や感性、
撮影機材も立派なプロだと思う。なによりも根気強く被写体を撮り続ける努力家でもある。








僕と氏とは、独身の頃からわが家で一緒に酒を飲み交わし、夜遅くまで写真談義をしたものだ。
僕が、今でも風景写真や、花の接写を写すベースになっているのは氏の影響からだ。いろいろ教わった。







この個展、「大山賛歌供廚近くにお住まいの方は、是非、見ていただきたいと思う。

場所、島根県立美術館、28日までの開催となります。

孫の手を借りて

 爽やかに晴れ渡ったこんな日は、

いつものカメラを肩から襷に掛け、てくてく被写体探し。とても気持ちの良い空が広がっていました。








何でもない いつもの風景の中、ふと僕の目に留まった農作業の光景。
 じいちゃんが田植え機に乗って田植えをしていました。その傍らで あぜ道を一緒に歩く若者と、ツナギのポケットに両手を突っ込んで 「こんな日に、やっちゃぁいられないよ〜」とでも言いたそうな態度の長身の若者。








ところが、何と言うことでしょう!。
 田植え機がUターンする頃には、進んで苗を補給しました。片や、グレーの若者は相変わらず見てるだけ。なんだ青がイイ奴ジャン。じいちゃん思いの優しい孫でしょうか。そうするとグレーは何者?。ひょっとして、農機具屋の営業マンかサービスマン?・・・結論は出ませんでした。

この光景を見ながら、「じいちゃん!いい孫持ったね〜」って声を架けたくなりました。今の若者も捨てたもんではないですね。孫がじいちゃんの農作業を手伝う とても微笑ましい光景でした。


片や、

のほほんと、気持ち良さそうにペダルを漕ぐサイクラーのカップル。 こんなの見てたら、がんばる孫も農作業が大儀になるかもしれませんね。






しかし、

心配は無用のようです。このアートは孫の仕業だと思われます。適当に憂さ晴らししたのでしょう。

ぶっ壊しました

 形あるものは いつかは壊れ消えていく。そんな今日一日でした。

7年くらい前に、リニューアルオープンした「木と暮らしの博物館」。社内での呼び名は「木の香の部屋」。   僕も、気力も体力も血気盛んな頃、心を込めて作ったのがこの部屋でした。






今までたくさんの来館者の方々に、この部屋から木の良さや、それぞれの木の情報を発信してきました。








途中から、

システムキッチンも並びました。しかし、時代遅れにはなっていませんが、みんなの意見がまとまり、更なる進化を!と言うことで、本日、あえなく・・・ぶっ壊しました。






ぶっ壊した奴らは、

総勢15名の面々でした。それと僕も加担しました。みんな一生懸命ぶっ壊してくれました。






おかげで、

夕方までには、何も無かったかのような姿に変わりました。この状況を見ながら、いつまでも昔のことに執着していてはいけないことが分かりました。これからこの部屋は、イベントごとに変貌する「多目的スペース」に新しく生まれ変わります。どうかご期待下さい。

東京スカイツリーの「木」

 昨日は、朝から金環日食のテレビの話題一色でした。そして、今日は「東京スカイツリー」のオープンと言うことで、これまたテレビは朝から大変な騒ぎになっています。どちらも世紀の一瞬なので騒ぎになるはずです。しかし、東京は生憎の雨模様のようです。

そこで、今日は快晴の出雲地方、我が家の庭からはっきりと全貌が見れます。

スカイツリー駅から見ても、








押上駅の方から見ても・・・と言いたい所ですが、まだ現物を見ていない僕にとっては、
まったくの方向音痴です。
いずれにしても、近くで見ると迫力満点でしょうね。早く見たいものです。

そして、今朝のテレビで始めて知る、島根県民に親しみのあるニュースが流れていました。
ニュースによると、この東京スカイツリーのデザイン監修を努めたのは、建築家の安藤忠雄と
彫刻家の澄川喜一で、澄川氏は島根県六日市(現:吉賀町)の出身だそうです。

しかも、氏のデザインのモチーフになったのは、産まれ故郷の思い出の「木」。

わが社でも、ごく稀に取扱がある「高野槇(こうやまき)」の木だったそうです。
そして、現、吉賀町の町長は、無理だろうと思いながら、この木の植樹をお願いしたら
以外にも了承され、スカイツリーの真下にこの木を3本植樹されたようです。








この高野槇(こうやまき)の木は、

皆様ご存知のことと思いますが、2006年9月6日にお生まれになった
秋篠宮悠仁親王のお印(シンボル)にもなった、とても高貴な「木」でも知られています。

僕も、いつかスカイツリーに行く機会があれば、この木のことを思い出して見たいと思いました。

待ち遠しかった「金環日食」はドラマチックに

 今日は、5月21日 月曜日。待ちに待った「金環日食」の日でした。日本国中、みんなその時刻に空を見上げられたことでしょうね。

そんな特別な日の朝、僕も五時過ぎに目が覚めてしまい、ごそごそ準備を始めました。昨夜から興奮していたのかもしれません。
 カーテンを開けると、パッと明るい日差し見え安心しました。昨夜から天気を心配していました。








さっそく、
庭にしっかりと三脚を据え、これに望遠レンズをセットします。もうこの時点でワクワクしてしまいました。








当然のことながら、

日食グラスも輪ゴムを付けてのスタンバイとなります。ご当地、出雲地方は残念ながら部分日食です。









しかし脳裏をよぎったのは、3年前の「皆既日食」撮影の苦い想い出。

このときは辺りが薄暗くなり、一種独特な雰囲気はありましたが、雲の晴れ間から時々覗く程度の太陽でした。しかも、写したかといえばモノクロの三ヶ月にも見える日食で、記念に写しただけのような写真でした。





そんな経験から、今回はガラリと雰囲気を変え、色のあるドラマチックな日食撮影に挑戦して見ました。時間を追って少しずつ変わる日食を写してみました。

















情報によると松江では、7時29分9秒に最も大きく欠けるようです。この時刻くらいだったでしょうか。







そして、ピークを過ぎ少しずつ元に戻ろうとしています。シャッターを押すたびにドキドキして感動モノでした。
しかし、後でテレビを見たら素晴らしいリング、プロが撮影するテレビの画像が一番ですね。


次回の「金環日食」は、2030年 6月1日 場所は北海道のようです。あと18年、元気で撮影を続けたいと思います。日食ハンター「木・夢・楽」でした。
*注:画像を長時間見続けると視力の低下の恐れがあります。程ほどのところで画面を閉じてください。